2023/05/31

自分史(独立時代)2006年~2023年

続いて、仕事時代の最終ステージ。なおこの回顧録には自分以外に登場する人達がいるが、直接的な人物名の記載はない。但し一部所属や肩書などの記載から推測できる場合はあるが、自分との関係性の文脈で必要最小限にしか触れていない。

・独立時代
さあ、いよいよ自分で会社を作って仕事だ。初めから誰かを雇う積りはなく、大きくする野望もなく、最後まで一人取締役のみという株式会社だった。初めからある程度の仕事は持っていて独立できたので、いろいろと試行錯誤する時間が持てたことも幸いし、幕を閉じる2023年まで17年余り存続できたことは幸いというしかあるまい。社名にはいろいろな思いを込める人もいるだろうけど、自分は何のこだわりも無かった。自分の中でどうでもいいことと判断したものには、時間を掛けることはしない。結論を言えば、娘が発した単語を聞いて「それだ!」ということで決めた。

何事も経験だということで、法人登記、社会保険の手続きなど全て必要なことは自分で走り回ってやった。経費を節約するということよりも、実際に自分で行動して社会の仕組みを自分事として体験すれば、不合理な面もおかしな慣習があることも知ることができるので、なるべくやるようにしてきた。複式簿記はお手の物だが正確な仕訳と決算事務はさすがに無理なので、税理士さんには決算前後だけ手伝ってもらうが、その他は自分でやるのが基本。

英語の契約書も大昔相当扱ったことはあったので、NDAは勿論のこと業務委託契約的なものも自分で精査して、対等条件に修正依頼することもあった。大きな会社は普通に自分達に有利で当然という態度でくるので。それは最初の会社で経験済み。おかしなことを言ってくる会社との付き合いは殆どなかったけど、最後の砦は契約書なので、そこに一切の妥協はなし。事業に困っていると、妥協してしまうようなこともあり得たかもしれないが、幸いそういう状態になることは無かったのでよかった。難解な契約の案件があったとしても、中高大の同期に弁護士は何人も居たので、別に心配はしていなかった。いざというときに身近に知人がいるのは心強い。

さて無名の新人が一人でやっていくには、どうしたらいいだろう。そう、まずは圧倒的な「give」からだという話は、自分史(ネットレイティングス時代)のところで書いた通りだ。初期に取り組んだ殆どお金にならない活動が後に芋づる式に繋がっていくことになる。特に執筆系は人気作家でもなければ、掛けた時間に換算すれば大赤字なんだけど、自分の糧になると思えたものは、誘われたら断らない。そういう活動によって、ジワジワと信用が加速度を付けて蓄積していったと思う。下記には公けに取り組んだことの一部を列挙してみた(開始時期と内容)。

2007年6月:ブログ開始(継続中)
2007年3学期:デジハリ大学院で客員教授(2011年後期まで)
2008年2月:Web担当者Forum連載開始(2017年12月まで)
2008年8月:「ネット視聴率白書 2008-2009」初の単著発行
2008年10月:教育講座「アクセス解析ゼミナール」開始(2019年11月まで
2009年6月:アクセス解析イニシアチブ(当時)設立協力と活動本格化
2009年7月:「Webアナリスト養成講座」初の翻訳本発行(監修及び翻訳)
2010年7月:無料メルマガ(週刊IFWA)発行(2013年2月まで)
2011年4月:「PROFESSIONAL アクセス解析」2冊目の単著発行
2011年8月:ウェブサイト「GAフォーラム」立上げ(2021年4月まで
2012年4月:無料メルマガ(週刊GAフォーラム)発行(2022年12月まで)
2012年9月:eラーニング事業開始(2013年2月まで)
2013年7月:教育講座「Google アナリティクス ゼミナール」開始(2020年2月まで
など

独立当初の頃はアクセス解析の仕組みや分析手法といったところの記事連載から始めて、それらを本にしたり教育講座にまとめるという一連の流れでアウトプットを効率よく再利用していった。Moodleというオープンソースのeラーニングプラットフォームを利用してeラーニングサイトを立ち上げたりもしたが、まだ流行り始まる前だったか、少し時期尚早だったかもしれないが、様々なことを試してみた。どちらかというと、実際のサイトのアクセス解析の初期設定や分析業務よりも、普及/布教/教育活動の方に自然と重きが傾いていった。

上記列挙の中にもあるが、業界団体 a2i(現アナリティクス アソシエーション、旧アクセス解析イニシアチブ)の設立に関わらせてもらい、その中で業界の認知を広めて価値を高めるための活動を自由に展開させてもらった。その中でやはり自分の教育講座なども展開させていくようにした。さすがに10年近くも同じような活動をしているとマンネリになるし、自分の中ではすでにやり切った思いが強かったので、2018年には運営から完全に退かせてもらった。a2iでは各種分科会活動と月例セミナーの企画を中心にやっていたが、多数の講演者の方と知り合う事にもなったのは財産になった。

そしてそろそろGoogle アナリティクスというGoogleのアクセス解析ツールにも飽きが来ていたのと、たまたま会社の登記の変更をしなければいけないことがあったので、事業を継続して別のことをやってみるのもどうだろうと思って、2019年の夏には定款(会社の目的)に教育と音楽を追加した。教育は仕事として、音楽は半ば趣味として登録しておけば、一生自分の興味のある範囲で会社を存続させることは可能だろうという適当な考えだった。

教育に関しては、初等教育が面白そうだと、いろいろな場所に行って授業などを見学させてもらったのだが、自分がそうだったように一人一人みんな個性が違うのに、画一的な教育をするのは限界があるし、かといって個々人に対応して個別対応する教育も難しい。これはとても生半可な気持ちで出来るものではないと気が付き、自分ができることではないと確信するに至った。学校の先生初め、教育者の方々に改めて感謝と尊敬しかない。ということで、大学の同期が運営しているスクールへの金銭的な支援する程度にとどまった。

そして後付けで考えただけだがw、そろそろ仕事も潮時かなと感じるに至った他の理由を無理やりつけるとすれば、主に二つのことがきっかけになっているだろう。一つ目はご多分に漏れず新型コロナによって2020年から活動が急にし辛くなったことが挙げられる。年に数回行っていた4種類のゼミナールという高額な教育講座は、座学で集合教育する形式だったのだが、バタバタと中止を余儀なくされてしまった。まあ最近は普通になった配信設備なども購入して準備はしたのだが、どうもしっくりこない。

もう一つは事業の根幹として扱ってきたツールである「Google アナリティクス」が互換性のない完全に新しいバージョンへ移行することになり、随分変わった形にこれからなっていくのも決定した。まあ、これに追随にしてビジネスを継続していくのは可能なんだけど、また同じようなことをやって、自分の人生が豊かになるんだろうか?みたいな根源的な疑問すら湧き上がってくるようになってきた、というのが正直なところだ。そうなるとあっさりしたもので、2020年には教育講座のコンテンツをPDFで販売して、全部吐き出して終わりにしてしまった。その後も、新規営業はせず自然減に任せていた。

その間、引き籠りで勉強その他やっていたけど、別に仕事がなくても人と接することが無くても特にメンタルがやられることもなく、会社という器を残していても仕方ないので、不要になったものはどんどん片付けてしまおうということで、今に至るということだ。最後まで人と群れることもなく、一人ぼっちでもやることを探して、やるべきことは一生懸命に取り組んだ方だと思う。

飽きっぽいところがあるので、独立以前には、ダレていた時期に迷惑を掛けた方もいたが、仕事人生の期間を通せば自分ではそれなりに自己満足できるアウトプットはしたんじゃないかと思うので、終わることに特別な感情もない。もともと夢も野望も物欲もない人間で、当然大きな何かを成すことはなかったと思うが、いい経験をさせて貰った。繋がりのあった方々には感謝しかない

自己分析するに、人と群れないように恐らく自分は承認欲求は特にない。老兵は消え去るのみ自分は自己満足できれば幸せな人間だと思う。繰り返すが従来から物欲や食には関心は薄いし、今は学生時代や現役時代によくやったスポーツも旅行もアルコールも投資/投機にも全く興味はないが、他にやりたい勉強、見聞きしたいことは多数あるので、それらに時間を割き自己満人生を満喫させて頂くことにする。

プライベートのことは、この独立時代の期間が長いので現在の状況と途中のトピックスを幾つか記述するにとどめる。子供たちも自分と同じで変わった苗字が原因でイジメられる/からかわれるようなこともなかったらしい。今は全員独立し、結婚し子供がいるものも。特段いい父親だったとは思えないが、幸いなことに娘からは不潔呼ばわりされることもなく、反抗期も見受けられなかった。息子は表立って非行に走ることもなく、なんとか真っ当に生きているようだ。

彼らに対しては、口うるさく何かを言うことはしなかった。自分史(NEC時代)でも書いたたが、自分がされて嫌なことは人にはしない主義なので。人間で安易にABテストはできないが、子供の養育については未だにどうしたらもっと良かったのか見当もつかない。どの親御さんでもそうなのではないか?

ペットは大人になってから通算で猫2匹、犬3匹(生まれたて除く)、全部虹の橋を渡った。犬猫どちらも面白い生き物だったが、今後飼うことはあるまい。自治会活動は20軒程度を束ねる「組」を20くらい束ねる「支部」の長を1年やらせてもらったが、超面倒で自治会活動はもうお腹いっぱい、行事ごとは最小限でいい

2011年の震災以降、すぐに太陽光発電を開始し、かなり自給できている。計画停電時の東京都優遇主義、突然の大地震時の東京都以外の強制停電など、東京電力はもはや信頼していないので自衛するしかない。蓄電が安くなってきたら必須だろう。ガスは都市ガスに乗り換えてもいいのだが、プロパンガスから変えていない。都市ガスも大災害発生時に復旧遅れは必至だろうと予想しているためだ。

緑内障の他には、コレスレロール値を下げる薬を服用している程度でそこそこ健康だ。とにかくまず健康であることが大切だ。生活は質素そのもので、金の掛からない趣味だけ。年金を貰えるのは少し先だが、後は何とかなるだろう。

最後に今回まとめて記録に残したことは結構意味があったと感じた。マニュアル化の話を自分史(日経BP時代)で書いたように、言語化することでいろいろと整理することもできたからだ。引退後の自分史を書く日がいずれ来るかもしれない。それでは、その日まで。今後SNSの活動も減ると思うが、まとまった話はこのブログで、ちょっとしたボヤキはTwitter辺りでしていることと思う。安否確認は、その辺りでどうぞw

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自分史(引退後)はいつになるやらw

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