2011/06/13

売上や利益といった数字だってどうにでも作れる、客観などない [週刊IFWA 2011/4/18]

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■ 売上や利益といった数字だってどうにでも作れる、客観などない


前回のメルマガでも紹介した、毎日の呟きをまず繰り返しご紹介します。「データのリリースには目的がある。数字は常に主観的で、罪深く、一人歩きする。数字に客観など無い。幾らでも誘導質問はできることを知っておこう。調査のサンプルサイズ、サンプリング方法、回答者属性、質問文、解答の選択肢の全部を開示していないデータは信用できない」

調査データやメディア・データなどでない、税務や会計という法律で決められている「売上」や「費用」といった数字も私の中では全く同じものとして同列に扱っています。

私の社会人スタートの数年は、所謂会計的な数字を毎日扱う仕事をしていました。簿記検定も受けてないですし、税理士や会計士の資格も持ってませんが、ちょっと勉強すれば「売上」も「費用」も数字なんて作れるのはわかります。

実際、大きく利益が出そうなときは、不良在庫を廃棄して、「廃棄損」という費用を計上することで利益調整します。まあどのレベルまでそういうのを認めるかというのが、「解釈」になる訳です。

ベンチャーが株価を上げるために架空の「売上」を計上することはよく聞く話ですし、逆に税金を払いたくないために、かなり強引な「費用」計上なんてこともよくあります。費用計上して利益を減らして、税金を少なく払おうという意図を持っています。意地悪ないい方をすれば、「意図」を持てば操作できるということです。

「売上」であれば、何を「売上」と定義するかによって、数字は変えられます。何か事件があった時の皆さんの言い訳を聞いてわかると思いますが、「解釈」が違ったという言い訳が常套句です。法律で決まっていてもそこには「解釈」が介在するため、争いは絶えず、裁判所はいつも大賑わいということです。所詮一見客観的な「数字」も、殆どが解釈に左右される「生き物」だと思っていて間違いありません。

法律で決められたものですらこの有様ですから、調査データとかメディア・データの見方は、どういう姿勢でみるべきかは一目瞭然です。そんな言葉の定義だったとは知らなかったとか、そんな集計方法だったとは知らなかったというのは簡単ですが、そういう言い訳を後ですることにならないように心掛けたいと思っています。

あらゆる数字は、まずどういう定義の何をどう集め、どう集計して、どう見せるかということで決まります。その全ての段階別に落とし穴があるということに気を掛けておきたいものです。残念ながら大抵は危ない数字です。しかし「だから使えない」ではなく、それでも「その制約の中で工夫して使う」ということにも知恵を傾けなければなりません。

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